IoTとAI技術で「シューズがコーチになる」アシックスとnnfの共同開発「EVORIDE ORPHE」発売2日で1000万円調達

スマートシューズORPHE(オルフェ)シリーズを開発する株式会社 no new folk studio (ノーニューフォークスタジオ:以下nnf)が株式会社アシックス(以下アシックス)と共同開発したスマートシューズ「EVORIDE ORPHE」のMakuakeでの予約販売を7/21より開始した。
このシューズはIoT技術を駆使し、履いて走るだけで高度なセンシングとAIの解析で「足の動きをデータ化」してくれる。更には「よりよい走り方」をコーチングする機能もある。

左からセンサー対応シューズ、センサー、対応アプリ。シューズのカラーはブラック×ピュアゴールドとホワイト×ピュアゴールド

売上は好調で、予約販売開始から2日で調達目標額の3倍以上である1000万円を大きく超える調達に成功した。Makuakeでの予約価格はシューズ+センサセットが31,500円(税別)シューズのみが11,500円(税別)。(7/27現在1800万円を突破)

makuake予約ユーザーの手元には11月ごろの出荷予定となっており、12月に予定されているアシックス直営店舗やECサイトでの本格的な販売に先んじて入手できる。

なお、ランニングに使う靴をためし履きせずに購入することに抵抗がある方は、アシックスが運営するランニングステーション「アシックスラン東京丸の内」にて、利用者を対象としたためし履きサービスがある。

本稿では、予約販売開始に伴って公開された「記者発表」「ユーザー座談会」「為末大学」など様々な動画コンテンツから情報を収集しロボスタ読者にEVORIDE ORPHEという商品と、スマートフットウェアが提供するものについて紹介してみたいと思う。


「シューズがコーチになる」EVORIDE ORPHEとは

EVORIDE ORPHEは、世界的にも定評があるスポーツシューズメーカーであるASICSが初めて発売するスマートシューズだ。
その機能を大まかに言えば下記の2つになる。

①高度なセンシングとランナーから集めたデータに基づいた解析で、履いて走るだけで足の動きがデータ化される

着地パターン:足裏のどの位置から着地しているのか
プロネーション:着地直後のスネに対してのかかとの傾き
接地時間:足がどのくらい地表に接地しているのか
ストライド:歩幅の大きさ
ピッチ:一分あたりの歩数
着地衝撃:着地時に地面から受ける衝撃の大きさ

②データを評価し、リアルタイムなボイスフィードバックを含め、様々な方法で『よりよい走り方』をコーチングする

今までアシックスが蓄積したデータと知見に照らし合わせ「ダイナミックな動き」「効率の良い動き」「負担の小さな動き」の目的に合わせ、コーチングやトレーニングのアドバイスをしてくれる

この2つの機能は、アシックスがこれまでに蓄積してきたデータと靴作りのノウハウを、nnfの持つ、センシング、解析技術を結びつけたことにより生まれたもので、靴というプロダクトを通して「パーソナルコーチングサービス」を売るという、新しいビジネスモデルへの転換点になるのだという。

IoTのビジネスサイドに興味のある読者的には非常に気になる話題だと思うが、まずはプロダクトとしてのEVORIDE ORPHE の紹介を交えながらすすめてみよう。


一番走れるスマートシューズ「EVORIDE ORPHE」

ランニングシューズである以上、ユーザーが重視するのは走行性能だろう。
EVORIDE ORPHEのベースとなった「EVORIDE」はアシックスのランニングシューズのなかでも走行効率を追求する長距離ランニングモデルで、その中でもフラッグシップと言える最軽量品となる。

「このシューズには意志がある」というキャッチコピーが語るように、自然に前へと転がっていくような印象を受ける弓形のソールが特徴だ。

フラッグシップだけあって、nnf代表の菊川氏をして「市場にあるスマートシューズの中で一番走れる」と言わしめている。

IoT商品は様々なインターフェースを変化させるものが多い。
例えばスマホで動かせるエアコン、であればリモコンがなくなったり、表示部が小さくなる。といった変化だ。
しかし、スマートグラスやスマートシューズのように、ウェアラブルな商品の場合、ユーザーは普段専門メーカーがノウハウや蓄積をいかして作った製品をつけなれているため、鼻や耳、足など、接触部の装着感などに違和感を生じる場合が多い。
ともすれば、「機能は頑張っているかもしれないけど、装着感はオモチャだね」「使い物にならない」と、一部のガジェット好きからの評価に終わってしまうものすらあるわけだ。

今回のアシックスの知見を存分に活かした共同開発は、この走行性能の高いEVORIDEとのコラボレーションにより「スマートシューズの機能性」を一般のユーザー、ランナーへと広めることができた。
この一点だけでもスマートシューズの歴史において大きな意義をもつだろう。

シューズ性能を損なわないセンシングモジュールORPHE CORE2.0

この最上級のシューズの機能を損なわないように細心の注意を払って開発されたのがORPHE CORE 2.0だ。
インソールをめくり、ヒール近くに設けられた凹みに挿入する形で利用する。

重量はわずか20g、昨年発売されたORPHE TRACKに使用されたORPHE CORE1.0に比べて50%のダウンサイジングを敢行しながらも連続駆動時間は7時間をキープ。
6軸のモーションセンサーできめ細かくセンシングしている。

また、ORPHE COREに搭載されたマイコン、ARM Cortex-M4上で動作する解析処理により、モーションセンサーでセンシングしたデータをランナーの欲する様々な情報に落とし込む処理をしている。この構成がもたらす高速な処理が、「ランナーの一歩一歩に対するリアルタイム性の高いコーチング、フィードバック」へとつながっているものと思われる。

こうしたモジュールを小さなサイズに修めるのは苦心が有ったと思われるが、サイズが大きくなれば、ソールの中に収納するために凹ませる体積も大きくなる。
そのため、フラッグシップモデルであるEVORIDEのソール性能を損なわないことを最優先にサイズに関して非常に厳しい制約の中で開発されたという。


様々な情報をリアルタイムにフィードバックするUI

センシング、解析したデータをどのようにユーザーに届ける価値にするのか、というのがIoT製品の核心部分だ。

商品発表にあたって催された座談会に出席した元フェイスブックジャパン代表の長谷川晋氏は「テクノロジーはあくまで手段であり、テクノロジーが最も消費者にとって価値を生むポイントを探る必要がある」と強く述べていたが、ユーザーとして最も気になるポイントはこの部分だろう。

しかし、この点においてもぬかりはない。

これまでのアシックスの蓄積したデータから、ランナーの動きをそれぞれの志向から「ダイナミックな動き」、「負担の小さな動き」、「効率の良い動き」の3つの観点から評価し様々な形でフィードバックを行っている。


・走りながら一歩一歩に対するアドバイスをイヤフォンで聞くことができるボイスUIによるリアルタイムオーディオフィードバック


・ランニングマシーンなどで使用している際に画面で閲覧できるヴィジュアル的なフィードバック

nnfのChief Sprint Officerでありハードルでのオリンピック代表経験もある為末大氏が自分の足運びのデータをチェックしているシーン。毎回決まった足でハードルを飛び越える競技特性から普通に走る際にも癖が残っており、客観的にデータで見ると左膝に負担がかかりやすいモーションだと語っている

・ランニング後に総括して見ることができるデータやアドバイス


・ランナーとして次のステップに上がるために必要なトレーニング動画、怪我を防ぐためのケア情報など

弱点を強化するようなストレッチやトレーニングを動画で紹介している。怪我防止という観点は、ファンランナー、アスリート、ともに関心が高いだろう。

これら、様々なタッチポイントで「コーチングサービス」を提供している。
このリッチなサービスの下支えとなっているのが、アシックススポーツ工学研究所が今まで蓄積してきたランナーたちのデータだ。

モーションキャプチャーや床反力の測定によるランナーの詳細なデータとORPHE COREからもたらされるデータとの相関をとることで、長年世界中のランナーのためにと蓄積されてきたデータがEVORIDE ORPHEユーザーのユーザーベネフィットに転換されている。



プロダクトからサービスへと変わるEVORIDE ORPHEの価値

アシックススポーツ工学研究所 所長の原野健一氏はEVORIDE ORPHEはトップアスリートから、明日から始めたいと思っているランナーまで幅広い層に対して受け入れられると考えているようだ。

高価格帯と言ってもいい製品なだけに「幅広い層への普及」と考えるとやや疑問を持ってしまう読者も多いかもしれない。
しかし、EVORIDE ORPHEを高機能な靴、と捉えるのではなく、もう少し広い視点でサービスとして捉えてみると見え方が変わってくる。

『走る』という行為における「自分の立ち位置」「目標となる地点」「目標に至るための過程」を知り、そして目標に至った先で成長を実感し、新たな目標を据えてトレーニングのサイクルを回していくという「成長するためのサイクル、ライフスタイル」を提供できるサービスだと考えると、「ランナー向けのちょっとしたガジェット」には見えないだろう。
このサービス、ライフスタイルを販売する、と考えると、おそらくプロダクト以上の価値を感じることができる人も多いのではないだろうか。

発表会にてEVORIDE ORPHEの持つ「プロダクトを超えた価値」について語る原野氏

実際makuakeでは3万円を超える高価格なランニングシューズであるにも関わらず、調達額は2日で1000万円を超え、今や1800万円を越える勢いだ(7/28現在)。
この伸びを見るに、EVORIDE ORPHEに期待を持っているユーザーは多いようだ。


表現からスポーツへ EVORIDE ORPHEに至る道

これだけ本格的なスマートシューズであるORPHEだが、スポーツ方面での開発を本格化したのは3年ほどであると言われると驚く人も多いのではないだろうか。nnfは2014年から靴のIoT化を手掛けており、この言い方は嫌がられるかもしれないが、スタートアップのなかでも古参と言ってもいい企業だ。
古くからIoTに注目している読者の中には「あの光る靴のORPHEでしょ」という方も多いかもしれない。

nnf CEOの菊川氏とCSO為末氏がこれまでにnnfの開発したスマートシューズを並べたシーン。右からORPHE ONE,ORPHE TRACK,EVORIDE ORPHE(白黒の2色展開)

nnfの最初の製品はタップシューズのスマート化とも言えるORPHE ONEだ。着地したポイントによって音や光のパターンがかわり、音楽やダンスなどのパフォーマンスを盛り上げることができるガジェットになっている。
この製品は2016年に一般発売され、多くのアーティストやダンサーなどのパフォーマンスなどに活用された。

ORPHE ONEを使ったパフォーマンスをする水曜日のカンパネラ コムアイ氏

しかし、電子楽器やダンスなどをバックグラウンドに持つ開発を抱えるnnfがこだわった「リアルタイム性」が400mハードルの日本記録を持つオリンピアン、為末大氏に見いだされ、「一歩の動きを細かくセンシングできるシューズ」がランナーにとって素晴らしい価値を持つことをアドバイスされたことにより大きく進路が変わった。

「測れないものは改善できない。」EVORIDE ORPHEの本質を射抜く一言。自らをコーチとして、オリンピック出場を果たした為末氏だからこその説得力がある。。

広くIoT機器の開発をサポートするシェアオフィスDMM.make AKIBAから為末氏が運営する起業家やスポーツビジネス関係者、アスリート、研究者が集うDeportare Complexへと環境を変え、アシックス・アクセラレーター・プログラムでの最優秀賞獲得、CES2020でも多くのメディアからの注目を集めるなど、尻上がりに調子を上げながら方向転換を図っている。

モーションキャプチャーを身に着け、ORPHEの開発に協力する為末氏

アシックスとの共同開発開始からを本格的なスポーツシューズづくりの開始と考えるならば、この3年間という短い期間を駆け抜けながら作ったのが今回発表されたEVORIDE ORPHEというわけだ。

製品の出来に関して、為末氏はプロのランナーの視点からしても「センサーの違和感がないこと」に加え、自身が様々な機関で計測をしてきた経験から、

・モーションキャプチャーデバイスなどのセットアップに1時間以上かかる手間がなく、日々のランニングを計測し続けることができること
・あらゆるレベルのランナーが利用できること
・長距離に渡る計測をし続けることができること

などのメリットを挙げ「これは売れるでしょう」という賞賛を送っていた。
自身の運営するコワーキングスペースからのアウトプットであることを差し引いても、十分な説得力がある意見だと言えるだろう。


デジタルパーソナライゼーションと靴のサービス化に力を入れるアシックス

完成度の高い共同開発商品は片方の思いだけで成立することはない。
自社初のスマートシューズにORPHEの名前をダブルネームで入れ、フラッグシップモデルを改修するという前のめりの姿勢はどこから来ているのだろうか。

EVORIDE ORPHE予約発売開始をうけ、コメントを出す廣田社長。コロナ下であっても「世界中の人々に健康な生活を送ってもらいたい。」という創業以来の願いをデジタルや新技術のサポートで実現していきたいと語る。

このプロジェクトの起点となる部分は、2015年に掲げた中期経営計画「ASICS Growth Plan (AGP) 2020」にある。
この計画は、アシックスがグローバルで持続的な成長を図るために策定されたもので、アシックスの創業哲学、理念に基づき新しい時代におけるアシックスの立ち位置を定めるためにいくつかのコア戦略を打ち出したものだ。

その中にある「デジタルを通じたスポーツライフの充実」「差別化されたイノベーションの創出」という戦略にEVORIDE ORPHEはガッチリとハマっている。

現状あらゆる分野で進む消費者の嗜好の多様化はキャッチアップすることが難しい。
カラー展開や機能制限などでもバリエーションを出すことができるガジェットなどに比べ、ユーザーのスタイル(対応する競技や走行距離、フォーム、用途など)に対応してイチからの開発、トータルバランスの調整が必要になるスポーツシューズという商品では開発予算とのラインナップの拡充によるメリットのバランスをとるのがさらに難しいだろう。

それに対して、「シューズがコーチになる」というコンセプトに基づいたEVORIDE ORPHEは、様々なデータやAIなどのデジタル技術を応用することで、多様なレベル、目的を持つランナーの志向にあわせてパーソナライズされたコーチングサービスを提供することができる。


「ランニング」はごく基本的な運動なだけに、それぞれのユーザーにとって意味合いが異なる。
予約販売開始に際して配信されたユーザー座談会では、ランニングに対する向き合い方が人それぞれであることが際立っていた。

・ランニングを「競技」として捉えるユーザー
・「コミュニケーションツール」「ファン要素」を求めるユーザー
・他競技の為の補強や、生活を「整える手段」として捉えているユーザー

それぞれがランニングシューズに求めるものが大きく異なることは想像に難くない。

しかし、EVORIDE ORPHEのようにデジタル技術を駆使すれば、それぞれに適したコーチングやトレーニング提案にとどまらず、活動実績のシェアなどのライフスタイルあわせたサービスの提供が可能となる。

座談会では「最強市民ランナー」の川内優輝氏(左下)、元フェイスブックジャパン代表の長谷川晋氏(中央上)、サブ3を狙うレベルのモデル、ハリー杉山氏(右上)とアシックススポーツ工学研究所の猪股貴志氏(中央下)、nnfのCEOの菊川氏(右下)という多様な顔ぶれがそれぞれのランニングライフにEVORIDE ORPHEがどう関わってくるのかを話し合った。

「プロダクト」を完成させ、売るというビジネスモデルから、蓄積したデータ、センシングしたデータを活用し、デジタル技術を通してコーチング「サービス」を提供することでユーザーのスポーツライフを充実させる。というイノベーティブなビジネスの転換は、様々なランナーのデータを取得し、製品を作り続けてきたアシックスの優位点を活かして差別化されたものいえるだろう。



今後に対する大きな期待

コロナという状況下でオープンな場所で移動しながら密を避けてできる運動ということでランニングにたいする需要はとみに高まっている。

その状況下で生まれた多くの新米ランナーも含め、多様なユーザーにたいしてもEVORIDE ORPHEに搭載されたテクノロジーであれば様々な可能性を提示することが期待できる。

座談会では、SpotifyやStrava※など、他サービスとの連携、一流スポーツ選手のランニングデータを楽しむファン的な将来性、他シューズへのORPHE COREの搭載など、様々な要望が出ていた。
※様々な計測機器との連携やSNSでのシェア機能などを持つランナー、サイクリスト向けに現状普及しているサービス

さらに、菊川氏は、将棋の藤井聡太棋聖のようにAIとスポーツ選手が緊密に関係し合うことで生まれていくニューアスリート像や、多くのランナーから抽出したデータを基に開発するスポーツシューズなど、スマートシューズがセンシングしたデータとAIによって切り開いていく未来についても語っている。

スマートシューズやAIがもたらす未来について語る為末氏、菊川氏

また、転倒や怪我の抑止や、特定の疾病にまつわる歩様のデータの活用などであれば、社会的な意義を持つ活用方法もできそうだ。

今後そのような歯ごたえのある開発分野に対してにアシックス、nnfがどう取り組んでいくのか、まずは丸の内に行ってEVORIDE ORPHEの試着をしながら予想してみるのも面白いのではないだろうか。

今後のアシックス、nnfの動きを興味深く見守っていきたい。



ABOUT THE AUTHOR / 

梅田 正人

大手電機メーカーで生産技術系エンジニアとして勤務後、メディアアーティストのもとでアシスタントワークを続け、プロダクトデザイナーとして独立。その後、アビダルマ株式会社にてデザイナー、コミュニティマネージャー、コンサルタントとして勤務。 ソフトバンクロボティクスでのPepper事業立ち上げ時からコミュニティマネジメント業務のサポートに携わる。今後は活動の範囲をIoT分野にも広げていくにあたりロボットスタートの業務にも合流する。

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