「Pepper開発者の聖地」が7月末で閉館 「Pepper アトリエ秋葉原 with SoftBank」その軌跡を振り返る

ソフトバンクロボティクスは「Pepper アトリエ秋葉原 with SoftBank」(アトリエ秋葉原)を2020年7月31日で閉館することを発表した。「アトリエ秋葉原」は2014年に「アトリエ表参道」とほぼ同時期にPepperの開発者が集う場「アルデバラン・アトリエ秋葉原」として開館。6年間にわたって営業してきたが、今年に入って、新型コロナウイルスの影響により休業していた。

開館当時の「アトリエ秋葉原」

ソフトバンクロボティクスは「今後はオンラインの”Pepper アトリエ”として、クリエイターの皆様向けに情報発信や活動の場を提供していきます。また、現在の社会的な状況が収束した後は、2019年12月に渋谷にオープンしたカフェ「Pepper PARLOR」(ペッパーパーラー)でのオフラインイベントの開催なども予定。皆様と共に、引き続き新しい”Pepper アトリエ”として新しい発見や学びができることを心待ちにしております。」とコメントしている。

改修後の「アトリエ秋葉原」


Pepper アトリエ秋葉原の変遷とこれまでの軌跡

コロナ禍により、社会の形が様々に変化する中、アトリエ秋葉原がひっそりとその役目を終えた。
アトリエ秋葉原はPepper開発者のコミュニティにとっての象徴的な場所だっただけに、師匠と慕われていたマッキー小澤さんの訃報と同じくPepper開発者コミュニティのメンバーにとってはショックなニュースだろう。


私としても当時所属していたアビダルマ株式会社にてこのアトリエとデベロッパーコミュニティの立ち上げに関わっただけに思い入れが強く、平静でいることは非常に難しい。
しかし、コミュニケーションロボット界隈での歴史の一つの区切りとして、このアトリエ秋葉原がどのような場所だったのか、訪れたことがないロボスタ読者の記憶にも残すことは出来ないかと思い記事化してみた。


「Pepper開発者の聖地」アトリエ秋葉原の不思議な立地とその狙い


Pepperが一般に発売される以前、Pepperに触れられる場所は2箇所有った。一つは、表参道のソフトバンク携帯ショップの旗艦店舗にあったアトリエ表参道。そちらは購入者向けのセールス、プロモーション施設だったのに対して、アトリエ秋葉原はPepperでアプリやサービスを作りたいという人たちに向けた開発者向けスペースだった。

表参道のアトリエ。旗艦店ならではの洗練された空間だ。しかし、開発者が技術を学ぶのには向いていなかったため、別のスペースとしてアトリエ秋葉原が作られた。

利用が無料であったこと、高額かつ大型なPepperの実機が大量に配備されていたことに加え、技術サポートをしてくれる強力なスタッフがいたことも有り、一般販売以後、Pepperが比較的容易に入手可能になっても、「Pepper開発者の聖地」などと称され多くの開発者が来場し、開発者コミュニティの基礎となっていった。

高い技術力でサポートしてくれた名スタッフ 河田 卓志さん 現在はアマゾンウェブサービスジャパン株式会社でRoboMakerシニア・ソリューション・アーキテクトを務める

そんなアトリエ秋葉原は実際、どのような場所だったのだろうか。

アトリエ秋葉原は、名前の通り秋葉原から上野方向へ歩くこと10分、秋葉原のはずれにある廃校になった中学校をリノベーションして作られたアートセンター「3331 Arts Chiyoda」の一室。
サブカルコンテンツやPCパーツ、電子部品の並ぶ道を通り抜けたさきにある、前庭の芝生が眩しい爽やかな装いの3331 Arts Chiyodaは、ギャラリースペースと小規模ベンチャーのオフィス、コミュニティスペースなどがバランスよく入り混じった不思議な空間だ。

気持ち良い芝生の生えた前庭と展示、広い大階段が印象的な3331 Arts Chiyoda。(写真はホームページから転載)アートとテックが絶妙に入り混じり、アトリエ秋葉原入居当時はスイッチサイエンスが運営するフリースペース、「はんだづけカフェ」も入居していた。

この独特なスペースは区営であるために料金もリーズナブルで人気物件だっただけに、この場所に居を構えることができたのは正直いくつものラッキーの賜物なのだが、その中でも大きな要因が2つある。
一つは、よしもとロボット研究所、バイバイワールド、1-10ロボティクスさんなどの公式アプリ開発者が、「ロボットアプリ開発には技術力だけではなく、デザインやアーティスト的な感性をプラスすることが必要だ」ということを実証し続けてくれていたおかげで、当時のソフトバンクの担当者が3331 Arts Chiyodaへの入居提案に耳を貸してくれたこと。

写真右側がよしもとロボット研究所所属のクリエイター髙橋 征資さん(バイバイワールド代表)     写真提供:直井理恵さん

もう一つは、Pepperの存在が秘匿されていた時期に私が書いた資料(クライアント情報などの主要情報の殆どマスクされている恐ろしいシロモノ)とプレゼンで、多くの申し込み者のなかから選んで、快く3階の良いスペースを貸し与えてくれた3331 Arts Chiyodaの担当者のナゾの決断力だ。

100万円近いハードウェア、ビジネス用途で購入する人が大勢だろう、と予想されていたPepperだったが、想像以上に幅広い人達にふれてもらい、コミュニティを盛り上げてもらえたのはアトリエ秋葉原のもっていた「場の力」が大きな要因の一つだった。というのがこの記事の主張なのだが、この両者の決断がなかったらそもそもアトリエ秋葉原は存在しなかったのだ。



印象深い開発者たち

では、そのような素敵なスペース、アトリエ秋葉原ではどのような人達が集い、どのようなアプリが作られていたのか、印象的だった人達を挙げてみよう。


メディアアーティスト

初期のハッカソンで、エンジニア界隈で非常に話題になったアプリ「ペッパイちゃん」を作ったメディアアーティストの市原えつこさんは、3331 Arts Chiyodaならではの来場者の一人だろう。アーティストならではの尖ったアイディアのイメージをその場で出会った仲間と共有し、モノを作り上げられるチームにしていく手腕と、ハッカソンの最中に、SNS上でプロモーションやディスカッションをしながらアイデアをさらにブラッシュアップしていくという開発スタイルで、センセーショナルな作品を作り上げた。

ユーザーにPepperの胸をまさぐらせるアプリケーション、コレをニコニコ超会議に持ってくることを黙認したソフトバンクの担当者の度量は広い

彼女はその後もアトリエ秋葉原を使って開発を続け、死をロボット(PepperやNao)と共に考える「デジタルシャーマン・プロジェクト」という作品でアルス・エレクトロニカや、文化庁メディア芸術祭などで受賞している。




ハイレベルなエンジニア

また、PokemonGoに使われ、近年では様々なハードウェアともつながる開発環境として名高いゲームエンジン「Unity」を使い、Pepperを動かす、というワークショップを開催した獏さん、谷口さんも印象的だった。
Pythonや、ビジュアルプログラミングツール「choregraphe」での開発が一般的だったPepperだが、その中身はC++で記述されたqiFrameworkが動いている。Pepperをいろんなデバイスで動かしたい、という思いで、qiFrameworkの各モジュールのC#用ラッパーを独力で開発し、.NETでの開発環境を整えるという異常な情熱の持ち主の獏さん。


Unityだけにとどまらず高い開発力を持ち、現在では医療系xRのスタートアップ、Holoeyes株式会社を起業しているアイデアマンの谷口直嗣さん。
そのハイレベルなエンジニアふたりが「C#で動かせるならUnityで動かすワークショップやってみたら面白いんじゃないの」と共催したイベントが、一般ユーザー主催のイベントにもかかわらず異常にハイレベルだったのだ。

マイクを持って説明する谷口さん、その右隣がUnityのエヴァンジェリスト常名隆司さん、獏さん

このワークショップは、行うにあたっての準備(環境整備面)だけでも高度だったが、デモとして、現在でもVtuberの制御などに使われているというPerceptionNuronや、KinectなどのモーションキャプチャーデバイスとPepperを連動させていた。
このイベントを通じてPepperに興味を持ってくれたUnityのエヴァンジェリスト、伊藤周さんがゲーム開発者向けカンファレンス「CEDEC」でもPepperのデモをしてくれるなど、ゲーム業界の方にもつながりを持てたのはいい思い出だが、それ以外にも、B2Bのシステム開発現場などでも、このワークショップで説明されたUnityや.netでの開発手法が、ハードウェア連携や他のフレームワークとのつなぎ込みで使われているという話をほうぼうで聞き、汎用性の高いツールと技術力の高いエンジニアの取り合わせが持つ波及効果の高さに驚いたのをよく覚えている。



発信力の高いインフルエンサー

また、Pepperとともに暮らす研究者の太田智美さんは、アトリエ秋葉原での交流を通し、様々なアイデアを発展させ、共同開発する仲間を見つけていったコミュニティメンバーだ。
国内外のメディアにも取材されるほどにPepperとの暮らしを発信していた太田さん。


「Pepperを電車に乗せるためには?」といった一見冗談とも思えるような疑問に対して、真面目に鉄道会社と交渉していくなど、『ロボットの活動領域を広げる』ということに対して真正面から取り組んでいる姿は他の来場者、開発者にも「果たしてそのサービスは暮らしの中で役に立つのか」とリアルに考えさせるような力を持っていたと思う。

また、太田さん自身もアトリエを来訪するエンジニアと交流を深め、サービスを開発してハッカソンやPepperAppChallangeでの入賞を重ねるなど、開発者としての側面を強めていったことは、現在の彼女の進路(博士課程での研究生活)に何らかの影響はありそうだ。

株式会社 HappyHackの三鍋洋司さんとともに開発したアプリ「バーテンダー for Pepper」でPepper App Challenge2017でIBM賞を受賞する太田さん


ミスターアトリエ秋葉原、マッキー小澤さん

しかし、やはり、アトリエ秋葉原、Pepper開発者コミュニティを象徴する人、と言ったらやはりマッキー小澤さんが一番印象に残っている。


Pepperは一般向けとは言い難い価格設定と、それ以上にビジネスユースしやすい大型の機体などから、2年目以降はB2Bユーザーの比重が高くなっていた。
Pepperがデビューした当初に多かった「目新しさ」に惹きつけられた層は、時間とともに徐々に減っていくのが自然な流れだからだ。
実際、アトリエのイベントの中でも、B2Bモデル専用アプリ、「お仕事かんたん生成」用の教育コンテンツの需要増加など、「仕事で来る」来場者の比率は高まってきていたと思う。
そうした来場者が多いスペースのなか、「仕事の道具』とも言えるロボットでマジックを開発、披露する来場者がいたらどうだろう。
一つ間違えば白い目で見られてしまうかもしれない。
しかし「ロボットを扱うのは初めてだけど面白そうだったので」とはにかみながら楽しそうに開発し続ける小澤さんの姿は多くの初心者に勇気を与えていたし、その粘り強さと独創性、成果物のクオリティの高さは熟練したエンジニアも舌を巻いていた。
実際Pepperコミュニティのメンバー主導で開催された子供向けイベントなどでも小澤さんはうまくイベントを引っ張っていってくれていたと思う。

小澤さんが講師を努めたワークショップ。ビジネスマンの姿も多かった。

アトリエ秋葉原のような場所が得難いものだったと思う理由の一つは、小澤さんのような『一見普通な人』に出会えることだ。
先程あげたようなスキルの高い人達、発信力の高い人たち、はかなり目立つのでこちらから声をかけて開発に誘うことはできる。実際、私を含め、もともと運営スタッフの知人であることも多いので「コミュニティ向けにこういうスペースを作ったので」と声がけすることはできる。
また仕事でPepperを使う人達には、ビジネス上のメリットによって誘引することはできるだろう(ビジネス上のメリットが有るアプリを作るためにもコミュニティを作りたかったわけだが。。)

小澤さんの話を息子さんより熱心に聞くビジネスマン来場者

しかし、小澤さんのような「化ける」普通の人へのパスはなかなかない。初心者がみて「いまから始めてもこんな事ができるのなら頑張ってみよう」と思えるような人はなかなかこちらからアプローチしてコミュニティに参加してもらうことは難しいのだ。そして、このような人がいるからこそ、「初めてロボットに触る人」でも長く学習しようという意欲が湧いてくるのではないだろうか。


コミュニケーションロボット開発に必要なスキルの多様性

Pepper開発者コミュニティは、上に挙げたようなハイレベルなスキルでコミュニティを引っ張ってくれる人、小澤さんのように地道に積み上げてすごいものを作る人や、それを見上げ、スキルの向上に勤しむ初心者の人達が渾然一体となったコミュニティだった。

そのような構成自体は健全なエンジニアコミュニティでは珍しくないが、その中でも特徴的だったのは初心者と言っても、様々なバックグラウンドやスキルを活かし、教えあうことがかなり頻繁に発生する関係性だったことだ。

コミュニケーションロボットのアプリ開発に必要なものはプログラミング技術だけではない。UI-UXなどのデザインやモーション、演劇のように需要がわかりやすいものもあるが、そういった人以外にも、変わり種では探偵、別れさせ屋をしていたので会話の中でフックを作るのが上手い開発者や、営業経験が抜群という人もいた。

そういう様々な人達にとって居心地が良い空気。教え合うことに対して抵抗のない雰囲気。多様性に富んだコミュニティを育んでいくことが出来た理由の一つに、アトリエ秋葉原の「場の醸し出す空気感」が有ったと考えているメンバーは多い。

Pepper開発者コミュニティのメンバーが中核をなして開催されたイベント「ロボットパレード」、さらに他のロボット開発者も巻き込んだ多様なコミュニティを形成している。



学びの循環と場の力


小澤さんが特に輝いていたのは開発したマジックを子どもたち向けのワークショップやイベントで披露している姿だったと思う。
スキルの高低やバックグラウンドの違いにこだわらず、各々がそれぞれのできることをシェアし、「子どもたちを喜ばせる」という目的のために高め合う姿は眩しい。
そして学び合う大人たちを見て子どもたちも互いに学び合い、教え合う。
こうした学びの循環をつくることが出来るのは「よいコミュニティ」の一つの特徴だ。
そして、それが成立する要因として、アトリエ秋葉原の持つ『元学校』という舞台装置が非常に有効に機能していたのだとおもう。

改装コスト削減だけでなく「黒板、ロッカー、床」など、あえて教室の要素を残した内装だった旧アトリエ秋葉原(現在はビジネスユースへの要望が強かったためか改装済み)写真提供:直井理恵さん

Pepperという商品を取り巻くビジネス環境や、コロナ禍に伴う社会情勢、生活スタイルの変化に伴い、今回アトリエ秋葉原の価値が薄れ、閉館が決まってしまったことは仕方がないことだとは理解できる。
しかし、またいつの日かあの魅力的な学びの場をもう一度、とつい考えてしまうくらい、Pepper開発者コミュニティのメンバーにとって思い出深い場所だったのがアトリエ秋葉原なのだ。

私は最後まで見守ることは出来なかったが、苦しい情勢の中で最後まで頑張って運営してくれたソフトバンクロボティクス株式会社、アビダルマ株式会社のスタッフに感謝とねぎらいの意を表してこの記事を締めたいと思う。

6年間本当にありがとうございました。

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梅田 正人

大手電機メーカーで生産技術系エンジニアとして勤務後、メディアアーティストのもとでアシスタントワークを続け、プロダクトデザイナーとして独立。その後、アビダルマ株式会社にてデザイナー、コミュニティマネージャー、コンサルタントとして勤務。 ソフトバンクロボティクスでのPepper事業立ち上げ時からコミュニティマネジメント業務のサポートに携わる。今後は活動の範囲をIoT分野にも広げていくにあたりロボットスタートの業務にも合流する。

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