研究者が起業する価値とは ライフロボティクスを創業・売却した尹氏が講演
2019年7月4日、「Tsukuba Startup Night 2019 ~ディープテック×スタートアップ」が東京・虎ノ門で開かれた。つくばのスタートアップのエコシステムを体感してもらうことを目的として開催されたイベントで、つくば市が主催、共催がジェトロ茨城貿易情報センターとVenture Café Tokyo、運営は合同会社for hereが行なっている。つくば市は「つくば市スタートアップ戦略」を2018年12月に策定し、スタートアップの支援を戦略的に支援しようとしている。
Venture Café Tokyoはイノベーションを起こすことをミッションとして掲げている会社。Venture Caféは2009年にボストンで設立され、世界の11都市でイベントを開催している。東京はアジア初の拠点として設けられた。「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」を育む場づくりをコンセプトとして毎週木曜日に「Thursday Gathering」という機会を設けて、交流を行なっている。東京では毎週約300人を集客しており、出会いのなかから新たなイノベーションを起こそうとしているとのこと。
ジェトロは「ジェトロ・グローバル・アクセラレーション・ハブ」というスタートアップの海外進出支援の仕組みを持っている。海外のスタートアップ・エコシステムを活用したビジネス拡大を目指す日系スタートアップに、ブリーフィングやメンタリング、マッチング等のサービスを無料で行っている。また次世代イノベーターを育成するために「始動Next Innovator」事業も行なっている。
会では、JAXAや産総研、物質・材料研究機構など、つくばの各研究機関からのプレゼンなどが行われた。この記事ではキーノートの一つとして行われた、ライフロボティクス株式会社創業者/元代表取締役CEO&CTO で、国立研究開発法人 産業技術総合研究所 情報・人間工学領域 人工知能研究センター デジタルヒューマン研究チーム 主任研究員の尹祐根(ゆん・うぐん)氏による講演「研究者が起業・経営・会社売却から学んだ、起業する本当の価値」をレポートする。
タイミングを読み、時流に乗ること
尹氏は大学教員から産総研を経て、2007年12月にライフロボティクス株式会社を創業。2014年には産総研を休職して会社に100%取り組み、2018年にファナックにライフロボティクスを売却。現在は再び産総研に復職している。ライフロボティクス株式会社はピッキング用協働ロボット「CORO」を製造販売していた会社で、資本金は2018年2月時点では15億円だった。主要株主は尹氏のほか、グローバル・ブレイン、日本テクノロジーベンチャーパートナーズ、リード・キャピタル、KODENホールディングス、三菱UFJキャピタル、オムロンベンチャーズ、三井不動産31ベンチャーズ、みずほキャピタル、Golden
Asia Fund(台湾)ほか。
尹氏は「ディープテックは時間がかかる」と述べた。ロボティクスやライフサイエンスのような先端技術の成果は、実現できれば社会を大きく変える可能性があるが、事業化までに時間がかかり、投資資金の回収が難しい。ライフロボティクスの場合は産総研のプロジェクトに端を発している。最初は尹氏が開発した独自の伸縮機構をもとに、介護領域向けのロボット開発を行なっていた。しかしビジネスモデルが確立できなかった。それを産業用の協働ロボットへと方針変更。2016年1月に協働ロボット「CORO」を発売し、最終的に2018年2月にファナック株式会社に売却した。なおライフロボティクスの「CORO」は肘関節がないことが売りの協働ロボットで、吉野家のバックヤードなどで使われた。尹氏は「率先して協働ロボットのマーケットを切り開いた」と自負しているという。
尹氏は、もともとは研究者だったので、当初は事業化の方向性がわからなかったと振り返った。そしてもがきながら協働ロボットに道を定めた。トレンドや時流に乗ることは非常に重要だ。市場参入タイミングを見ると、ユニバーサルロボットは2005年、ライフロボティクスは2007年、リシンクロボティクスは2008年に創業している。2015年以降は大企業も協働ロボットにも参入している。これらから結果的には良いタイミングで売却したと考えていると語った。尹氏は「ものづくりはスタートアップにとっては大変。大企業にうまく繋ぎこんでいくことも重要だ」と述べた。
また、つくば市からの支援も重要だったと述べた。ライフロボティクスも家賃、開発助成、展示会出展支援などのほか、つくば支援センターからも支援を受けた。ただし「ある程度成長すると、つくばからは出ざるを得なかった」と述べ、課題も指摘した。
イノベーションとは技術革新のことではない
では、どんなことを学んだのか。尹氏は、「そもそも研究者とは、最終的には人類の発展に貢献する、幸福な社会を作ることが目的であり、イノベーションは手段でしかない」と述べた。研究開発に人々が投資するのも、それが理由だ。そして投資には優先順位をつけざるを得ないので、優先順位のマネージメントが重要になる。投資なのでリターンは重視される。尹氏は「社会へのリターンを重視しないと研究予算が落ちる。エンジニアリングや市場に近い研究をしている研究者は、そのことを理解しないといけない」と述べた。我々は富を増やすことが前提の資本主義社会で生きており、投資をしてもらうなら、富を増やすことを前提に研究していかないといけないという。
そして「企業が儲けることができるから研究投資があることを忘れてはいけない」と続け、ドラッカーの『顧客の創造』を引用して、マーケティングとイノベーションは補完関係ではなく同時に実施するものだが破壊と創造の共存は極めて困難だと指摘。だからイノベーションは難しいのだと述べた。
イノベーションは技術革新のことだとされていることが多いが、ヨーゼフ・シュンペーターによる定義は、
1)新しい材貨の生産
2)新しい生産方法の導入
3)新しい販路の開拓
4)新資源の獲得
5)新しい組織の実現
である。
そしてドラッカーは7つの機会を定義している。
1)予期せぬ成功と失敗を利用する
2)ギャップを探す
3)ニーズをみつける
4)産業構造の変化を知る
5)人口構造の変化に着目する
6)認識の変化を捉える
7)新しい知識を活用する
である。
プロダクトにはライフサイクルが必ずある。そしてイノベーションは非連続に起きる。日本企業の多くは既存技術に踏ん張っていて、新事業になかなかジャンプできない状況にある。そのため営業利益が落ち、その結果として給料も落ちてるし研究投資も増えないのだと尹氏は述べた。そして「営業利益率が高い産業の創出が急務。売り上げではなく営業利益を上げることに着目していかないといけない」と語った。
「組織から個人」の時代における技術者マインド
では、これから求められる技術者像とはどんなものか。海外ではトップがエンジニアの会社が増えている。彼らはビジネスモデルとそれを支えるための技術を研究開発してきた。だが日本では「やりたい研究開発ができれば幸せ」というマインドの研究者が多く、「投資に対するリターン責任が薄い」と指摘した。米国や中国では研究者も、いまやるべき、できる研究開発に集中し、投資を受けて研究することに対する意識が高く、また博士号を持ってる人の起業も多いという。
産総研からの起業が少ない理由は「産総研にいると幸せだから」だという。そのため産総研がゴールになってしまう。いっぽう、起業すると多くが失敗する。起業は必要だが、途中で死んだ人たちをどうやってフォローアップするかが大事だと指摘した。「9割以上死ぬけどそのあとフォローアップするという仕組みがないと研究者は起業しない」。
いっぽう「終身雇用はもう無理だ」という話も企業側から出てきている。尹氏は「今は社外の人脈が大事。企業に利用されるのではなく企業を利用する人になってバリューアップするマインドが重要。個人にとっては厳しいけれど、面白い時代に入ってきたとも言える」と述べた。個人として自分がどう生きていきたいのか、自分のマーケットバリューをどうつくるのかが重要で、組織から個人の時代に入ってきたと述べた。
死なない失敗をしてサバイブせよ
ハードウェアスタートアップのExit率はソフトウェアに比べると低い。エコシステムはほぼないし、リーン開発もハードウェアスタートアップではやってはダメだと指摘した。作ってから顧客に試してもらうのは無理であり、ソフトウェアは反応を見ながら開発する足し算開発ができるが、ハードウェアは基本的に引き算開発で、最初は全部盛りにして顧客の意見を聞いて引いていくものだと述べた。そして必要資金、人材、職種も多い。開発=製品ではないからだ。ハードは最終的には量産しないといけない。そして量産は開発とはまったく違うものだからだ。また、ハードウェアについては特に中国の開発力が凄いので、ソフトウェアを含む開発をして、「ハードウェアとソフトウェアをうまく絡め取ったところをビジネスにしないといけない」と述べた。
ハードウェアスタートアップの難しさは、80億円調達したJibo、160億円を調達したリシンクロボティクス、100億円調達したセブンドリーマーズラボラトリーズなどの事例を見てもわかる。
仮に一個うまくいっても、すぐに「イノベーションのジレンマ」に陥ることがある。そのため「S字カーブのどこに自分がいるのか」を常に意識することが重要だという。自分たち自身では旧来の技術から新技術へとジャンプできないからだ。既存の事業部とぶつかるからである。新事業に飛ぶには社長直轄しかないが、日本企業のトップは任期が短く腹を括れないことが多い。これらの理由によってスタートアップを大企業はうまく使えないのだと述べ、スタートアップを成功させるには「とにかくサバイブするしかない。死なない失敗をいっぱいやることが重要だ」と述べた。
資金については「不要な調達はしないほうがいい」と強調した。資金調達するなら筋の良いきれいなお金が大事で、あと戻りができないのできわめて重要だと述べた。なお尹氏自身も現在はepiST株式会社と株式会社ウィズ・パートナーズのアドバイザーを務めている。
ハードウェア・スタートアップの現実は厳しい。アメリカでも1割程度しか生き残れない。そして投資家から資金調達したら投資家をExitさせないといけなくなる。そのためには、アーリーステージでM&Aするのも悪くない選択だと述べた。逆に、数十億円以上の資金を調達するとM&Aが難しくなり、大企業に売るしかなくなる。「M&Aできる範囲で資金調達しないと投資家は怒る」からだ。それらの面からしても資金調達は諸刃の剣だと述べた。そして「起業家が失敗したあとのフォローの仕組みが大事」だと何度も強調した。
研究者は一度は起業しよう
尹氏は「起業家に必要な素質と研究者の素質は近い」と考えているという。誠実であること、やりぬく力、高い熱量、良い意味で他人の意見を気にしないこと、論理的であることなどが求められるからだ。いっぽう、「良い技術=売れる商品ではない。これは研究者にとっては辛いが現実だ」と述べた。しかし「人類を自由な未来へと導いていける」ということを実感できることが、研究者がスタートアップを起こすことの最大のメリットだと語った。
もちろん、デメリットもある。尹氏は「きついし寝られない。CEOは辛く、吐きそうで、しかし他人の前ではエネルギッシュに喋らないといけいない。メンタルをやられる。周囲の理解を得にくい」と述べた。
しかし、自分の研究のゴール設定が自らできるし、自分の市場価値も上がる、そして「一度やるとスタートアップのテクニックを学べるので理論詰めでいけるようになる」と述べて、「研究と、新しいビジネスモデルの検証は変わらない。研究者は一回は起業しよう」と会場にいた研究者たちに呼びかけた。ただし「9割は失敗する」ので、「チャレンジしたことを評価する評価軸を作らないとエコシステムは回らない。セーフティネットを作ることが重要。そうすれば、つくば市は盛り上がってくるのではないか」と支援者たちに述べて、講演を締めくくった。
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森山 和道フリーランスのサイエンスライター。1970年生。愛媛県宇和島市出身。1993年に広島大学理学部地質学科卒業。同年、NHKにディレクターとして入局。教育番組、芸能系生放送番組、ポップな科学番組等の制作に従事する。1997年8月末日退職。フリーライターになる。現在、科学技術分野全般を対象に取材執筆を行う。特に脳科学、ロボティクス、インターフェースデザイン分野。研究者インタビューを得意とする。WEB:http://moriyama.com/ Twitter:https://twitter.com/kmoriyama 著書:ロボットパークは大さわぎ! (学研まんが科学ふしぎクエスト)が好評発売中!