大規模言語モデルや世界モデルの応用など先端研究と現場とのギャップを橋渡し パナソニックのAI研究・活用の現状
パナソニックグループは2023年6月23日、これまでのパナソニックグループによるAIへの取り組みと、今後の技術戦略やAI人材育成の事例などを説明する記者レクチャーを開催した。パナソニック ホールディングス株式会社 テクノロジー本部 デジタル・AI技術センター所長の九津見洋氏と、同センター 客員総括主幹技師 兼 立命館大学 情報理工学部 教授の谷口忠大氏が解説した。
パナソニックグループのAI技術戦略
まず、パナソニック ホールディングス株式会社 テクノロジー本部の九津見洋氏が同グループのAI技術戦略について概略を解説した。
パナソニックは2023年5月に「環境とくらしへ貢献する技術開発に注力」というグループ戦略を発表している。九津見氏は「あくまで実際の事業で役に立てるための道具」としてAIを捉えていると述べた。パナソニックはAIに対し、研究開発のみに注力するのではなく事業で使うこと、使いこなせる人を増やすことに注力してきた。人材育成も強化しており、グループ全体でAI技術者は1500名を超えている。なおパナソニックでは、AI技術で一定の評価スコアを持っている人、AIの中身を理解しており自分自身の業務で活用できる人を「AI技術者」と呼んでいる。
同社では多様な顧客の「くらし」とつながることをコンセプトとしており、「Panasonic Digital Platform」に多様なデータを集約。横断的価値創出を目指している。これまでに1兆8000億件のデータを集めているという。
また幅広い事業のプロがAIを使いこなすことを目指しており、各事業会社が各領域でAIを活用している。いわゆる「ドメイン知識の活用」だ。具体的なドメイン知識を持ったプロがAIを使うことで様々な成果を出せているという。
「Scalable AI」と「Responsible AI」でAI活用を加速
今後は、さらにAI活用を加速するために、あらゆる顧客に素早く届ける「Scalable AI」、顧客の信頼に応える「Responsible AI」に力を注ぐ。具体的にはデータから実装まで一貫したAI開発プロセスの高度化により、責任あるAIの活用を加速する。
「Scalable AI」では「基盤モデル」を使い、少数データで導入できるAIを目指す。パナソニックグループだけが入手できる各領域データをもとに、多様なタスクに汎用的に使える基盤モデルを構築。そこから少数データによる転移学習を行い、顧客ごとにわずかなデータでフィットする最適なAIを提供できるようにする。
多様な物理空間への実装も目指す。変動する環境に柔軟に適応するための「世界モデル」をベースとしてロボットの環境適応力を高める。たとえば人や物との共存状況でも効率的に目的地へ辿りつけるようになる。また、大きなAIモデルを精度劣化のないかたちでコンパクト化(ロスレス AI)、エッジデバイスに実装できる「エッジAI」を開発する。
九津見氏は適用事例として「現場最適化CPS」を紹介した。これは現場をサイバー空間に取り込み、シミュレーションで業務やエネルギーの無駄を発見、改善するというもの。人やモノの動線を抽出・分析し、シミュレーションで最適解を提案する。様々な社内外の現場で既に適用されている。たとえば新たなセンサーを設置して最適解を示すまでに1日しかかからない「1日導入キット」もあるという。
また、個々の製造物流現場だけではなく、機械学習を使ったサプライチェーン最適化ツールの「Blueyonder」を使うことで、個別の会社を超えた連携最適化の実現も目指している。
*動画
「Responsible AI」では、同社が定めたグループ横断のAI倫理原則にしたがって開発を進める。人間のために技術を活用することを掲げており、2022年からグループ横断で倫理チェックしステムが稼働しているという。
AI品質保証については、ブラックボックスなAIの説明性の担保も進めている。AIモデルの判断根拠を説明できるAI、未知情報に対して既知情報から無理やり判断することを防ぐOut-Of-Distribution detection(OOD)、品質保証のためのMLOps(機械学習システムをつくるための手法や概念)も進めて保守効率化を行う。
これらを実現することで、スピーディーに価値を提供し、事業に実装していく。
記号創発ロボティクスの研究者はパナソニックで何をしているのか?
立命館大学 情報工学部 教授で、パナソニック ホールディングス株式会社 テクノロジー本部 デジタル・AI 技術センター 客員総括主幹技師の谷口忠大氏は、企業とアカデミアの共創について説明した。
谷口氏は「記号創発ロボティクス」の研究者。身体による環境との相互作用、環境の中での言語の理解や認知、物体概念や動作概念の獲得などに重きを置いて、ロボット、AIの研究を進めている。言語の意味は必ずしも固定されたものではなく、むしろ環境の中で意味を変えながら使われる。それを理解しなければ人間と共生するロボットは作れないし、人間の知性も理解することはできないという。
2017年当時、谷口氏のパナソニックでのクロスアポイントメント制度活用については「日本初のクロスアポイントメント制度適用事例」としてメディアからも注目された。
では、谷口氏はパナソニックで何をしているのか。大きく分けて二つ。一つは全社AI推進。もう一つはAI研究チームの育成だ。
クロスアポイントメントでは、大学と会社双方に在籍して研究活動を行う。大学との共同研究ではなく、完全に社内にいることで、即時対応できる点が違うという。たとえば、AI技術といっても色々ある。その技術をどれを使いたいのかといった課題に対して、谷口氏は記号創発ロボティクスの研究者として様々なAIに精通していたため、相談相手をつとめていたという。AI研究チームの育成については、研究の頂点を引き上げることを目指している。
アカデミアでの存在感
アカデミアの人間が内部にいることにより、アカデミアとの連携も容易になった。Panasonic、立命館大学、NAIST(奈良先端科学技術大学院大学)の連合チーム「NAIST-RITS-Panasonic」で出場した2022年の「World Robot Summit(WRS)」では総合優勝した。
*動画
全社横断組織「REAL-AI」チームでは、各部署から先端AI研究をリードする人たちが集まり、全社横断で研究開発と事業展開を目指している。2019年には中部大学の山下隆義教授がコンピュータビジョン分野のアドバイザとして参画した。
そのような活動のなかで、たとえばマルチエージェントシステムの国際会議「AAMAS 2023」などに論文が採択されている。これは配送ロボットの経路計画の数理最適化に関する研究だ。たとえば複数ロボットの運用においてランダムな遅延が起こる(廊下で人とすれ違う際に一時停止するなど)場合においても、最適な計画立案ができるという成果だ。
「IROS2022」では、実世界で何が起こるかを予測する環境モデル「世界モデル」に関する発表を行った。いま「世界モデル」のロボットへの応用は、各企業からも注目されている。谷口氏と岡田雅司氏が発表した「DreamingV2」は、潜在状態をカテゴリ変数で表現する離散世界モデルを用いた強化学習手法「DreamerV2」と、対照学習により一般的な世界モデル学習におけるオートエンコーディング(再構成)の過程を用いない強化学習手法「Dreaming」の両方を採用したもの。「直感的にいうと細かい物体も扱えるようにしたもの」で、ロボット強化学習の有効な手段だという。
また奥村亮氏らが発表した「Tactile-Sensitive Newtonian VAE」は、世界モデルの一種である「Newtonian VAE」を接触タスク、具体的にはUSB挿入タスクに応用したもの。世界モデルの研究は産業応用まで遠いと考えられているが、ニュートン力学の制約を入れることで学習ステップ数を大幅に減らせることがわかり、このタスクの場合は数十分のあいだロボットに手探りさせることで、1mm以下の位置精度が必要な端子挿入が可能になる。
谷口氏は「人間も同じだが、細かいものを扱うときは目で見るだけでは不十分」と節飯いた。この研究では「GelSight(ゲルサイト)」というビジョンベースの触覚センサを用いることで、微調整も自分で学習できるようになった。
このほか、Computer Visionでもトップ会議に採択される成果を出している。「ビジョンは応用に近い世界なので事業への適用は近い」という。谷口氏は「アカデミアと実応用のあいだを繋ぐ人材育成と成果発表ができている」と語った。
大規模言語モデル(LLM)と世界モデルの組み合わせでロボット制御
国内会議でも成果発表をしている。谷口氏はJSAI2023(第37回人工知能学会全国大会)で発表した、大規模言語モデル(LLM)と世界モデルの組み合わせによってロボット制御を行った研究事例を紹介した。自然言語からロボットの制御コードを生成して自律制御した。ロボットの座標や関節角度・速度、物体位置などを使わずに、未知のタスクに対して自律制御ができたという。具体的には「箱を大きさ順に積み上げて」、「一番右のブロックを一番高い円柱に上に置いて」、「太陽の色のブロックを海の色の円柱の上に置いて」といった指示に従って動作させた。
LLMで高次プランニングを行い、一個一個の分割された動作学習は前述の「Tactile-Sensitive Newtonian VAE」を使った。身体動作学習と上位のプランニングをつなげる概念実証だ。
そのほか、有給インターンシップ制度も作った。博士学生を有給で受け入れて、研究成果を出して発信していく。優秀な人材獲得とオープンイノベーションを目指している。
「ニコボ」誕生も横方向連携の成果の一つ
横方向の連携、ワンストップでAIやロボティクスに関する相談を受けるとはどういうことかについては、谷口氏は、2023年5月に一般販売も開始されたコミュニケーションロボット「NICOBO(ニコボ)」の事例を紹介した。「ニコボ」開発には豊橋技術科学大学の岡田美智男教授が関わっているが、開発グループに岡田教授を紹介したのが谷口氏だったという話だ。
谷口氏のところに訪問した当初の開発グループは、言語を使ったコミュニケーションロボットをやりたいという考え方を持っていた。だが「それでは失敗する」と考えたのだという。
人間がロボットとインタラクションするときに、ロボットが言語を喋ると「言語を理解しているんだ」と思う。だが実際の言語理解はそのレベルに達していない。だからやがて必ず落胆に転じる。谷口氏は当時を振り返り「天気予報のような質問応答レベルでしか現状のAIと人間のインタラクションはできない。だから言語を使うと、インタラクションし続ける他者としての存在からはずれてしまう」と語った。
そして「コミュニケーションロボット開発は失敗事例を学ばずにスタートすることが多く、歴史的に失敗している事例がいっぱいある。最初はその匂いがあった。だから目指したいものについて聞いた。議論していくと、相互作用のなかでロボット側に足りないものに対して人間が意味付けすることで関係性を作る、岡田美智男先生の言っていることと近いのではないかと考え、それで岡田先生に話を繋いだ」と経緯を紹介した。その中から生まれたのが「ニコボ」だった。
*動画
谷口氏は「クロスアポイントメントは単に知識を特定テーマで出すのではなく 様々な縁やシナジー、オープンイノベーションがあると認識している」と述べた。社内イベントなどにも登壇し、会社の空気を広げようとしているという。
なお、この「ニコボ」開発経緯の話は筆者も2021年3月に書いているので、別媒体ではあるが詳細はそちら(“弱いロボット”で笑顔を増やす。パナソニック「NICOBO」が目指す世界)をご覧いただきたい。
まずはパナソニック社内の工場現場で応用、外販へ
「REAL-AI」チームは世界のトップレベルの研究を常に見ている。それに対して現場レベルとはギャップがある。そこに橋渡しをして、最新のAI技術のうち伝えるべきものを伝えることが重要だと考えているという。
世界モデルを使ったロボットによる作業の実応用領域としては「シーケンシャルな動作があるところがうまくいくのではないか。一方で、ロボットそのもののデータサンプリング難しさがある。ロボットの知能化が一気に広がるかというと難しい」とコメント。世界モデルの上位にLLMを載せる鳳凰で今後の応用可能性を探る。
特に、ある程度は整理されているが、まだまだ現状のロボットにとっては乱雑な環境である「人間共存環境の工場が狙い目ではないか」と考えているとのこと。まず、パナソニック社内での応用を探る。「パナソニックは、中に応用先マーケットがいっぱいある。社内の工場の自動化を進めて、その成果を外に流せるのが強みであり面白いところだ」と語った。
思わず笑顔になるパナソニックのパートナーロボット「NICOBO」(ニコボ) 一般発売を発表!本体価格60,500円+月額料金
オナラもするし寝言も言う“弱いロボット”「NICOBO」出荷開始!パナソニックがアプリや公式ウェブを公開
「NICOBO」関連記事
パナソニック関連記事
ロボットの見方 森山和道コラム
ABOUT THE AUTHOR /
森山 和道フリーランスのサイエンスライター。1970年生。愛媛県宇和島市出身。1993年に広島大学理学部地質学科卒業。同年、NHKにディレクターとして入局。教育番組、芸能系生放送番組、ポップな科学番組等の制作に従事する。1997年8月末日退職。フリーライターになる。現在、科学技術分野全般を対象に取材執筆を行う。特に脳科学、ロボティクス、インターフェースデザイン分野。研究者インタビューを得意とする。WEB:http://moriyama.com/ Twitter:https://twitter.com/kmoriyama 著書:ロボットパークは大さわぎ! (学研まんが科学ふしぎクエスト)が好評発売中!