日立の次世代技術「CMOSアニーリング」実用化へ(1) 量子コンピュータを疑似的に再現 アニーリングと組合せ最適化とは【入門編】

「3密を回避した300人以上の勤務シフト作成を従来の100倍の速度で実現した」
そう語るのは日立製作所の中央研究所内にある「CMOSアニーリング」という技術を開発している研究チーム。「CMOSアニーリング」は量子コンピュータを疑似的に再現する最先端の技術です。
所属、スキル、勤務場所、希望の就業時間、通勤時間、法律や就業規則等による制限など、様々な要素を加味して作成する勤務シフトは、膨大な選択の中から、最適な組み合わせを見つけ出す、複雑で時間がかかる作業です。そんな「組合せ最適化」作業は新しい形態のコンピュータ「CMOSアニーリング」によって自動化されようとしています。

CMOSアニーリング基盤 (提供:日立製作所) 冒頭の写真の左下は「IoT機器に実装可能な名刺サイズのCMOSアニーリングマシン」

更には、損害保険ジャパン/SOMPOリスクマネジメントとの共同実証や、三井住友フィナンシャルグループ等での実証実験等、ユースケースも増えてきています。


量子コンピュータとアニーリング

最新のICTニュースを中心に「量子コンピュータ」や「アニーリング」というワードを目にするようになってきました。量子コンピュータは次世代のコンピュータ技術として期待されている技術です。また、「アニーリング」は今後、「組合せ最適化問題」の分野において、更にニーズが高まる技術だと言われています。しかし多くの読者にとって正直なところ、どちらも「どういうものなのかよく解らない」というのが実状でしょう。
そこで今回から2回に渡り、量子やアニーリングについて解説したいと思います。わかりやすさを重視し、できるだけ平易な文章での解説を優先したいと思います。

今回の記事作成にあたり、日立製作所に協力をお願いしました。日立製作所は「組合せ最適化問題」に特化した高性能な新型コンピュータ「CMOSアニーリングマシン」(ハード/ソフト)やその技術「CMOSアニーリング」(ソフト含め全体の名称)の開発を進めています。CMOSアニーリングは量子コンピュータを疑似的に再現する技術です(日立グループとしては量子コンピュータの開発も行っています)。


組合せ最適化問題、CMOSアニーリングとは何か


「組合せ最適化問題」とは

では「組合せ最適化問題」とは何でしょうか。この場合の「問題」という言葉の意味は、AI研究でも使われるのと同様に「problem」ではなく「question」の方。ひと言で言うと「いくつかの選択肢がある中で最も適しているものを選び回答する」こと。
よく知られている事例としては、「たくさんの買い物がある場合の店舗を回る最適な順番やルート」、「セールスマンが効率的に街やクライアントを巡回する最適な順番とルート」、「遠足に持っていくおやつの選択(上限金額が決まっている)」などがあげられ、実務的には「膨大な数の従業員の出勤シフト作成」などが良い例となります。ようするに一般の生活でもよくある「いくつかの組み合わせの中から最も満足度の高い回答を得る」こと、と言えるでしょう。

日立製作所が開発した「CMOSアニーリング」も、膨大で複雑な組み合わせから最適解を素早くみつける業務に活用されます。例えば「従業員のシフト作成の最適化」「研究室を利用するメンバーの最適配置」「損害保険のポートフォリオ最適化」など。既にこれらの業務では驚くべき成果をあげ始めています。

現在のAIによる推論は、大量の過去データの中から学習していき、経験からその次にどうすべきという解を導き出します。そのため、前例のないデータ、過去にデータの蓄積がない問題に対しては、正解を導くことが難しいのが通常です。
一方で、量子の揺らぎ効果を活用した「CMOSアニーリング」は、選択肢の「良さ」を評価軸にして、ベストな選択肢となる最も低い地点(安定状態)を探る技術です。更には大量のデータから大量の条件や選択肢を解析して最適解を超高速に求めるポテンシャルを持っています。


「量子コンピュータ」のひとつ「アニーリング」

世界中で研究が進められている量子コンピュータは従来のコンピュータと比較すると異次元の超高速性が期待されています。現在のスーパーコンピュータでも数年かかる演算が、数時間や数分・数秒でできるポテンシャルを持つと言われています。2019年に発表されたGoogleの論文で「量子超越性を実現」したというニュースを記憶している人も多いでしょう(量子ゲート方式)。
量子コンピュータには大きく分けて「量子ゲート方式」と「量子アニーリング方式」の2つの方式があります。「量子ゲート方式」は汎用的な計算ができるものの、まだ実用化には遠いとされています。もうひとつの「量子アニーリング方式」は現在「組合せ最適化問題」に特化したハード/ソフト開発が中心に行われていて、「量子ゲート方式」より実用化はずっと早いと見込まれています。これを一般に「アニーリングマシン」と呼びます。

ただ、量子コンピュータ自体は現時点の技術では超低温(-273度)化で稼働させる必要があるなど、一般に実用化されるようになるには大きな壁があるのです。

ちなみに、従来のコンピュータが得意な、足し算やかけ算など、四則演算して正解を一発で出す計算作業には向いていないこともあり、私達の認識として「現時点」では、「量子コンピュータ」(アニーリング)が従来のコンピュータに全面的に置き換わるものではない、と受け止めていても構わないでしょう。


従来のコンピュータ+CMOSアニーリングの連携

量子コンピュータの実現にはまだ障壁があるので、従来のコンピュータで「アニーリングマシン」を実現する研究・開発を、日立、富士通、東芝などがハード/ソフトの両面で行っています。そのひとつである日立の「CMOSアニーリング」は、量子コンピュータで注目されているイジングモデルを従来のコンピュータやCMOS回路上で仮想的に実行できる点が大きな特徴です。

アニーリングマシンには、「量子コンピュータ」を使ったものと「従来型コンピュータ」を使ったものが開発されています。従来型コンピュータを使ったものが「★」印の列で、「常温」で使えて「実用化」段階に到達しているのが特徴です
CMOSって名前、どこかで聞いたことがある?
ちなみに「CMOS」(シーモス)はComplementary Metal Oxide Semiconductorの略称で、要素技術やしくみとしてはデジタルカメラ等のイメージセンサー等で利用されてきたので聞き覚えがあるかもしれません。CMOSアニーリングは当初、そのCMOS半導体を使い、イジングモデルを再現することで開発されました (少し技術的な解説をすると、CMOSのメモリーをイジングモデルの「スピン」に対応させ、デジタル回路をスピン間の相互作用に活用、メモリーとデジタル回路の相互作用を調整することで、イジングモデルを擬似的に再現させたのです)。

「CMOSアニーリング」はアニーリング用のチップやハードウェアが搭載されたコンピュータで、その上で動作させるソリューションとセットにしたサービスとして実現しています。「組合せ最適化問題」に対して高速に最適解を出すアニーリング技術を常温環境で利用できるものです。



どんなデバイスなの?

デバイスは様々な形状が想定されています。クラウドコンピュータのラックに増設するタイプや、パソコン本体に拡張スロット用基盤、ケーブルで増設する外部ユニットなどです。更にはアニーリング機能を持ったICチップの開発も進めていて、将来は指先に乗るほど、超小型なものを目指しています。

CMOSアニーリングマシンの例

CMOSアニーリング用ICチップ(ASIC)の例



ハードの導入が不要なケースも

ハードの導入が必要ないソリューションも登場しています。そのひとつが「GPU」や「FPGA」を使ってCMOSアニーリングを行うソリューションです。これならば、AIに対応したクラウドの環境でも実現でき、特別なハードウェアを必要としないため、導入がしやすいことが利点です。

日立は自社開発したアニーリング用の「ASIC」または「FPGA」で動作する「CMOSアニーリングマシン」に加えて、「GPU」で動作する「CMOSアニーリング」(左端)も開発し、複数のバリエーション構成となった。注目したいのは大規模な計算が行える「スピン数」、「10万」と最大クラスを達成する

日立は大規模な計算が行える指標のひとつ「スピン数」の値が「10万」と最大クラス。また、スピン間結合は「全結合」(GPU型)と「疎結合」(ASIC/FPGA型)に対応でき、目的に応じて使い分けができるよう配慮しています(「全結合」と「疎結合」の違いは上図参照)。

クラウドサービス「勤務シフト最適化ソリューション」の提供

また、日立は2020年10月からCMOSアニーリングを勤務シフト作成に特化して利用するためのクラウドサービス「勤務シフト最適化ソリューション」の提供を開始しています。これはクラウドサービスなので、特別なハードの導入が必要なく、業務に課題を抱える企業にとっては導入の検討がしやすいものになっています。

クラウドサービスの提供形態 システム構成図


CMOSアニーリングの将来展望

なお将来、量子コンピュータによるアニーリングが実用化されても、いま開発している「CMOSアニーリング」で培った技術自体は量子環境でも応用できると見られているので、開発したシステムを移行するのも難しくないというメリットも期待できます。

従来のコンピュータで研究・開発を進めたCMOSアニーリング技術は、将来、量子コンピュータが普及後も、そのまま量子アニーリングに発展させて活用できる可能性が高いと見られている

次回は「従来の手法では約3年もかかる計算が、CMOSアニーリングでは1週間以内に解くことが可能」だと推定された「損害保険ポートフォリオ最適化」のユースケースなど、このCMOS技術を使った具体的な活用事例を紹介します。
続編「日立の次世代技術「CMOSアニーリング」実用化へ(2) 3年かかる計算をわずか1週間で!「勤務シフト作成」では余剰を8割も削減、100倍高速【事例編】」につづく。

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神崎 洋治

神崎洋治(こうざきようじ) TRISEC International,Inc.代表 「Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス」(日経BP社)や「人工知能がよ~くわかる本」(秀和システム)の著者。 デジタルカメラ、ロボット、AI、インターネット、セキュリティなどに詳しいテクニカルライター兼コンサルタント。教員免許所有。PC周辺機器メーカーで商品企画、広告、販促、イベント等の責任者を担当。インターネット黎明期に独立してシリコンバレーに渡米。アスキー特派員として海外のベンチャー企業や新製品、各種イベントを取材。日経パソコンや日経ベストPC、月刊アスキー等で連載を執筆したほか、新聞等にも数多く寄稿。IT関連の著書多数(アマゾンの著者ページ)。

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