東京大学大学院工学系研究科の武田俊太郎准教授および吉田昂永大学院生(当時)らの研究チーム、NTT、NICTは、量子性の強い光パルスで計算できる世界初の汎用型光量子計算プラットフォームを実現したことを明らかにした。
概要
近年、光の連続量方式での汎用的な計算を目指した光量子計算プラットフォームが目覚ましく進展し、量子コンピュータの有望な方式として期待されている。しかし、これまで実現されたプラットフォームは全て、行える演算の種類が「線形演算」のみに限定された不完全なものであり、この演算だけでは現代のコンピュータより高速に計算できないことが知られていた。
今回、本研究グループは、「非線形演算」も可能にする量子性の強い光パルスを光量子計算プラットフォームに導入することに世界で初めて成功。このプラットフォームをテストベッド(試験用環境)として利用すれば、従来はできなかった非線形演算の実装や、量子誤り訂正処理の評価、さらには最適化や機械学習などの量子アプリケーションの探索が大きく進展する。
また、今回のプラットフォームで採用している光回路構成は拡張性に優れた独自方式であり、今後これを多数の光パルスを用いた計算ができるシステムへとスケールアップしていくことで、将来的にはスパコンを超える誤り耐性型万能量子コンピュータ実現へつながるものと期待されている。
発表内容
研究の背景
量子コンピュータは、量子力学に基づく新しい計算原理を用いた次世代のコンピュータ。現在、超伝導、中性原子、イオン、シリコン、光などさまざまなアプローチで量子コンピュータの開発競争が繰り広げられているが、その中でも、光を用いた量子コンピュータは有力候補の1つである。
光量子コンピュータは、他方式とは違ってほぼ常温常圧で動作し、高クロック周波数(演算処理1つ1つが高速)で計算できる上、光通信と容易に接続でき光量子コンピュータネットワークの構築につながるといった利点を持つ。特に近年、光の波に連続的な情報をもたせて計算を行う連続量の手法が目覚ましく進展し、連続量での汎用的な計算を目指した光量子計算プラットフォームが世界でいくつか実現されている。東京大学の武田准教授らの研究チームも、連続量の手法に基づく独自の光量子コンピュータ方式を2017年に提案し、2023年には3個の光パルスで計算ができるプラットフォームを実現するなど、世界をリードする研究成果を挙げてきた。
2017年に武田准教授らが考案した光量子コンピュータ方式では、量子ビットの情報をもつ多数の光パルスを大きなループ型のメモリの中に蓄え、それらの光パルスに1個のプロセッサによって順々に演算処理を実行する。この方式では、光の種類としてスクイーズド光のみを用いている限りは、線形演算という限られた演算処理しか実行できない。そこに量子性の強い光パルスを導入することで、非線形演算も可能になり、あらゆる計算が可能な量子コンピュータが実現できる。
研究の内容
今回、研究グループはこの障壁を乗り越え、世界で初めて量子性の強い光パルスを使って計算できる汎用型光量子計算プラットフォームを実現した。
今回、量子性の強い光パルスをランダムなタイミングで発生させるシステムと、スクイーズド光パルスとプロセッサを用いて線形演算を実行できるシステムを組み合わせ、さらにそれらを時間的に同期させて制御するシステムを組み込むことで、量子性の強い光パルスを用いて計算できる光量子計算プラットフォームが実現した。OPA(Optical parametric amplifier)は光パラメトリック増幅器を表す。
このプラットフォームは、量子性の強い光パルス1個を発生させ、それに対してさまざまな線形演算を繰り返し何ステップでも実行できる機能を持つ。将来的に、量子性の強い光パルスと線形演算を組み合わせれば、従来できなかった非線形演算も実行可能となる。このため、今回のプラットフォームを拡張していくことで、線形演算も非線形演算も含め、あらゆる計算が実行できる万能な光量子コンピュータの実現へとつながり、現代のコンピュータを超える高速計算が可能になると期待される。さらに、量子性の強い光パルスを用いれば量子コンピュータで正確な計算結果を得るために不可欠な量子誤り訂正処理も行えるようになるため、誤り耐性型量子コンピュータへの道を切り拓く成果とも言える。
役割と成果
この光量子計算プラットフォームは、東京大学のチームが蓄積してきた光量子コンピュータの独自の要素技術、NTTが開発した光パラメトリック増幅器、NICTが開発した超伝導光子検出器を結集させ、既存のプラットフォームを大幅に技術刷新することによって実現。
このプラットフォームの構成は、武田准教授らが2017年に提案した独自方式に基づいており、この方式は量子ビットの光パルスを時間的に一列に並べてループ型の光回路を周回させながら、1つのプロセッサで演算処理を繰り返すもので、コンパクトな光回路で大規模な計算が可能となることが強み。今回この方式のプロセッサを、量子性の強い光パルス(具体的には「シュレディンガーの猫状態」の光パルス)の発生源と組み合わせたプラットフォームを構築した。
この構築には、光ファイバとの親和性の高い光通信の波長帯(1545nm)に量子性の強い光パルスを生み出す発生源が必要であり、NTTが開発した光パラメトリック増幅器とNICTが開発した超伝導光子検出器を組み合わせることでその実現に至った。この発生源は、光子検出器が光子を検出したタイミングでのみ光パルスを発生させるもので、発生のタイミングはランダム。発生した光パルスに対してプロセッサで演算処理を行うためには、光パルスの発生を知らせる光子検出信号を手掛かりにして、光パルスがプロセッサに到着するタイミングとプロセッサが演算処理の動作をはじめるタイミングを一致させる必要がある。
しかし、光子検出信号を受けてからプロセッサを動作させるまでの電気的な処理には時間がかかり、その間にも光パルスは光の速度で進み続けるため、通常はタイミングが間に合わない。そこで、光パルスがプロセッサに至る前に長さ100mの光ファイバを挟み、光パルスの到着時刻を遅らせることで、光パルスの到着とプロセッサの動作のタイミングを合わせることに成功した。
このプロセッサでは、もう1台のNTTの光パラメトリック増幅器で発生させたスクイーズド光と呼ばれる補助的な光パルスを繰り返し入射して用いることで、量子性の強い光パルス1個に何ステップでも線形演算を繰り返すことができる。
量子性の強い光パルスが発生したら(a)、それに同期して光パルスをループ内へと誘導して(b)周回させる。そこに補助的なスクイーズド光を入射・測定することで繰り返し演算処理を行い(c)、最後に演算後の光パルスを測定器へと送って計算結果を測定する(d)。光パルスがループ内で周回するか、光測定器へと送られるかは、透過率可変ミラーで制御する。
実証実験では、線形演算の1つであるスクイージング演算を最大3ステップまで種類を変えながら実行し、期待通りの演算が行われていることを確認。さらに、光パルスの強い量子性を示す特徴が、2ステップの演算の後まで保たれていることも確認し、演算のエラーで失われやすい量子性を維持できるレベルの高い精度で実行できていることも示した。
演算が期待通り実行されたかどうかを評価するため、演算の前と後の光パルスそれぞれに対して、光の振幅と位相の疑似確率分布を表すWigner関数を測定し、3次元プロットとして示した(xとpが振幅と位相、縦軸が確率に相当)。Wigner関数の負の領域はその光の状態の強い量子性を表しており、2ステップ演算後にも負の領域が残っていることから、演算が高い精度で行われていることがわかる。下の図はWigner関数を上方から見た2次元プロットであり、実験結果とシステムの不完全性を考慮に入れた理論予測を示している。ここで行っているスクイージング演算では、横方向(x方向)成分を小さく減衰させ、縦方向(p方向)成分を大きく増幅する演算で、期待通りWigner関数が変化しているとともに、実験結果と理論予測がよく一致していることがわかる。
今回、量子性の強い光パルスでさまざまな計算ができるプラットフォームの実現が世界初であることはもちろん、実際に3ステップもの演算を行ったのも世界で初となる。
今後の展望
今回、量子性の強い光パルスを初めて組み込むことで、従来できなかった非線形演算を含む高度な計算へと展開可能な全く新しい光量子計算プラットフォームが実現し、スパコンを超える量子コンピュータ実現への突破口を切り拓いた。
このプラットフォームは、ハードウェアは同じまま、プログラムを変更して異なる動作をさせればさまざまな計算を行うことが可能であるため、このプラットフォームをテストベッドとして利用することで、実際の非線形演算の実装や、量子誤り訂正処理の評価、さらには最適化や機械学習などの量子アプリケーションの探索が大きく進展する。
また、今回のプラットフォームで採用している光回路構成は拡張性に優れた独自方式であり、今後これを多数の光パルスを用いた計算ができるシステムへとスケールアップしていくことで、将来的にはスパコンを超える誤り耐性型万能量子コンピュータ実現へつながるものと期待されている。
各機関の役割
東京大学:実験系の設計・構築、データ取得・解析など実験・理論全般
NTT:光パラメトリック増幅器の作製・提供
NICT:超伝導光子検出器の作製・提供
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